三陸を知る

📚 大槌町の15年を、全部読みます

岩手県大槌町の公開資料2,457件を機械で集めて並べ、人口・犠牲者数・災害公営住宅の戸数を原表まで戻して確かめた記録。読めたことと同じ重さで、読めなかったことを書いています。

岩手県大槌町の公開資料を、行政サイトの隅から国の検査報告まで機械で集めて並べた。到達できたHTMLは2,403ページ、そこから出た添付は5,932本。そのうち2010年から2025年までの15年に関わる2,457件を目録にした。これは「大槌町はこう復興しました」という記事ではない。公開されている資料だけで、ひとつの町の15年をどこまで読めるのかを実際にやってみた記録である。読めたことと同じ重さで、読めなかったことを書く。

先に断っておく。目録の「取得済」は、そのURLが応答したという意味であって、中身を読んだという意味ではない。2,457件は読破した蔵書ではなく、どこに何があるかの地図だ。この記事は地図の読み方を書くものであって、蔵書自慢ではない。基準日は2026年7月31日。更新されるページはこの日の状態として扱う。


1. 数字の入口 — 15,276人から9,870人へ

国勢調査だけを並べる。

総人口世帯数前回比
2010年(平成22年)15,276人5,689世帯
2015年(平成27年)11,759人4,927世帯-3,517人(-23.02%)
2020年(令和2年・組替値)11,004人4,527世帯-755人(-6.42%)
2025年(令和7年・速報集計)9,870人4,356世帯-1,134人(-10.31%)

15年で人口は5,406人減った。率にして35.39%。世帯は1,333世帯減って23.43%。人口の減り方が最も大きかったのは2010年から2015年の5年間で、この1区間だけで23.02%が消えている。

この表には、書き添えておかないと嘘になる注記が3つある。

ひとつ。2025年は速報集計である。確定値が公表されたら差し替えが要る。

ふたつ。2020年の11,004人は、2020年当時に公表された数字そのものではなく、2025年調査時点の市区町村の境界に合わせて組み替えた値である。同じ表の中で連続して比べられるように国が並べ直したもので、当時の公表原表と一致するかどうかは今回確認していない。

みっつ。そして、これがいちばん大事なのだが、この表からは原因が読めない。震災による死亡、震災後の転出、戻ってこなかった人、もともと進んでいた人口減少、そのどれがどれだけ効いたのかを、国勢調査の総人口と世帯数だけで分けることはできない。分けるには、転出入や死亡の年次データ、住宅再建の意向調査、地区別人口を町の資料と突き合わせる必要がある。この記事はそこまで到達していない。だから「震災で5,406人減った」とは書かない。書けるのは「2010年に15,276人だった町が、2025年に9,870人になった」という事実だけである。

男女の内訳は取れる。2010年は男7,122人・女8,154人、2015年は男5,778人・女5,981人、2025年は男4,660人・女5,210人。2020年の男女は組替表に載っていないので空白のままにしてある。空白を埋めない、というのがこの記事の作法だ。


2. 2011年、町が失ったものと最初の設計図

大槌町の人的被害について、公開資料には3つの数字がある。並べる。

  • 2013年2月6日、大槌町自身がつくった「大槌町復興推進計画」に、「死者・行方不明者合わせた人的被害は1,254人、産業・公共施設被害額が約767億円」とある。
  • 2016年4月、会計検査院の報告書に、「大槌町は、東日本大震災により死者・行方不明者計1,234人に及び、町役場は津波に流されて全壊し、町長及び町幹部職員が犠牲となった」とある。
  • 2023年7月19日に更新された町のページ「東日本大震災人的被災状況」には、死亡届受理数1,233人(うち身元判明822人、行方不明411人)、死亡届が受理されていない行方不明者1人、震災関連死52人、計1,286人と書かれている。

1,233に1を足すと1,234で、会計検査院の数字と一致する。つまり2016年の1,234と2023年の1,234は同じものを数えていて、1,286はそこに震災関連死52人を足した数だ。**「1,286人」を単独で使うと、関連死を含む数を含まない数として読ませてしまう。**この記事では必ず「関連死52人を含む」と添える。

では2013年の1,254と2016年の1,234の差、20人は何か。**分からない。**両方とも「死者・行方不明者」と書いてある。定義が違うのではなく、時点が違う。その3年のあいだに何が精査されて20人分が動いたのかは、今回集めた公開資料には書かれていない。書けないので書かない。

町役場そのものも被災した。町の「東日本大震災津波における大槌町災害対策本部の活動に関する検証報告書」のページに、町は自分でこう書いている。平成25年度に一度検証はしたけれども、「40名近い職員が犠牲となった当時の役場の災害対策本部の活動などについて、なぜそのような犠牲者が出たのかといった、より根本的な原因は明らかにされていませんでした」。だから平成28年度に震災検証室を設けて検証しなおした、と。5年たってから、自分の役場の中で起きたことを調べ直す部署をつくっている。

被害の全体像は、国土交通省の「東日本大震災による被災現況調査」が浸水範囲と建物被害を扱っている。この調査は2011年の8月・10月・12月と更新されていて、その履歴も公表されている。ただしこの系列は初期の被害と都市整備に寄っていて、教育や福祉には届かない。

最初の設計図、つまり「大槌町東日本大震災津波復興計画」の基本計画と実施計画第1期(2011〜2013年度)は、町の震災アーカイブ「つむぎ」に収蔵されている。入口のURLは分かる。**しかし中身をこの記事に引くことはできない。**理由は第7章で書く。

そして、2011年についてもうひとつ。町議会の会議録は公式の年別索引が2011年から並んでいる。だが2011年のページを開いて確認できた最初の会議は、4月28日の臨時会である。震災当日とその前後、1月から3月までにこの町の議会が何を審議し、何を報告したのかは、この索引からは読めない。「年のページがある」ことは、その年の全会期・全日・全PDFが揃っている証明にはならない。


3. 住まいと土地をつくり直す

町が土地と住まいを作り直す工程は、複数の系列に分かれて記録されている。

お金の系列は復興交付金だ。岩手県が「大槌町の復興交付金事業計画一覧」として第1回から第28回までを索引にしている。年度別の一覧では道路、下水道、災害公営住宅、集団移転といった事業に、どの年度にいくら配分されたかが並ぶ。2021年度には「令和3年度進捗状況報告」が出ていて、2011年度から2021年度までの事業・資金・完了と廃止を一枚で総括している。第1回の事業計画を町が提出したのは2012年で、そのお知らせのページが今も残っている。

土地の系列は復興整備計画である。町は「復興整備協議会」を設置して計画を公表し、2012年の初版から少なくとも2019年の第17回変更まで、変更の履歴が積まれている。手法は主に3つ——土地区画整理事業、防災集団移転促進事業、漁業集落防災機能強化事業。町のサイトには区画整理事業、集団移転促進事業、災害危険区域のカテゴリがそれぞれ用意されている。低い土地を災害危険区域に指定して住めなくし、高台や嵩上げした土地に住宅を移す、という流れがカテゴリの構成そのものに出ている。

住まいの系列は、国の「住まいの復興工程表」が最も細かい。復興庁が半年ごとに更新していて、市町村ごとの個票まで公開されている。大槌町の個票(平成29年9月末現在)を開くと、団地の名前がずらりと並ぶ。町方、寺野臼澤、大ケ口・屋敷前、小枕、花輪田、安渡、赤浜、吉里吉里、浪板、沢山・夏本、柾内。それぞれに「用地買収→調査設計→造成→建築設計→建築工事→入居」の帯が引かれている。

数字を出す前に、この表の言葉の意味を確かめておく必要がある。原表の注記に、こう書いてある。

  • 「民間住宅等用宅地」とは、地方公共団体が面整備事業により供給する住宅用の宅地のこと。
  • 供給時期の定義は、民間住宅等用宅地は宅地造成工事の完了時期、災害公営住宅は建築工事の終了(事業主体への建物の引渡し)時期
  • 土地区画整理事業による供給宅地は、上物が未定なので1画地を1戸分と計算している。

つまりこの表の「戸数」は、人が住み始めた数ではない。土地ができた数と、建物を引き渡した数である。1,401という宅地の数字を「1,401世帯が戻った」と読むと間違える。1画地=1戸と数えているだけで、そこに家が建ったかどうかは別の話だ。

2019年、岩手県知事の記者会見で大槌町の防災集団移転が完了したことに触れられている。会見が扱っているのは、造成が終わったあとの跡地をどうするか、地域をどう維持するか、という次の課題だ。工事の完了は、話の終わりではなく話の切り替わりだった。


4. 計画の外にいた声を探す

計画の資料は、たいてい「決まったこと」しか書いていない。決まる前に何が言われたのかを探すと、途端に読みにくくなる。

町のサイトには「『住宅再建に関する』意向調査」というカテゴリの入口がある。開くと中身は空だ。ここで「調査をしていない」と結論するのは、この記事がいちばんやってはいけないことである。目録づくりの段階で採録した記録によれば、2012年の復興実施計画には住宅再建意向調査の対象、配布と回収の方法、そして結果が含まれる構成になっている(実施計画の本文は震災アーカイブ収蔵で、後述する利用条件のためこの記事では中身に立ち入らない)。**カテゴリが空であることは、調査が無かったことを意味しない。**カテゴリの中身が移されたのか、旧サイトに残ったのか、計画書の付属資料として吸収されたのか。今回の探索では分からない。分からないものを「無い」と書かない。

「住民説明会」のカテゴリには資料がある。ただし2018年の地区別の会合が中心で、2011年から2017年についてはこのカテゴリでは確認できなかった。2018年の資料は地区ごとに分かれていて、安渡、赤浜、吉里吉里、浪板、町方・小枕・伸松、沢山と並ぶ。「地域復興まちづくり懇談会・地域復興協議会資料」という名前がついている。町全体をひとつの会場に集めるのではなく、地区ごとに協議会を置いて回っていたことが、資料の並び方から分かる。町には「大槌町地域復興協議会」のカテゴリもあり、議会側には「東日本大震災復興まちづくり特別委員会」の活動報告がある。

意向調査については、資料そのものが自分の限界を書いている例がある。中心市街地の住宅再建意向図は、対象者の全員を覆っておらず、未回答や未定があることを資料自身が明記している。地図の上で色が塗られている面積を、そのまま住民の総意として読んではいけない、ということだ。資料が自分で書いている留保を、記事が消してはいけない。

完成後の声もある。2021年、町は「福幸きらり商店街」の跡地の利活用案についてアンケートを取り、結果と評価結果の両方を公表している。仮設の商店街が役目を終えたあとの土地をどうするか、という問いだ。これも「復興が終わったあと」の資料である。


5. 国と県の数字、第三者の検査

ここが、この記事でいちばん時間をかけたところだ。

町の資料と国の資料を突き合わせると、同じものを指しているはずの数字が食い違うことがある。今回、大きな食い違いが2つ出た。どちらも原表まで戻って決着した。結論から書くと、片方は定義の違い、もう片方は時点の違いだった。

5-1. 災害公営住宅は448戸か、878戸か

復興庁の「復興状況把握報告書 平成29年」には、参考図表として「大槌町における民間住宅等用宅地及び災害公営住宅の計画戸数(2017年9月時点)」という表が載っている。地区名がずらりと並び、合計は民間住宅等用宅地1,401戸、災害公営住宅448戸

ところが同じ復興庁が2018年11月に出した「住まいの復興工程表」の岩手県の一覧では、大槌町の欄は民間住宅等用宅地1,401戸、災害公営住宅878戸。宅地はぴったり一致するのに、公営住宅だけが倍近く違う。

原表に戻った。工程表の2017年11月版(平成29年9月末現在)の大槌町個票は、2つの表でできている。ひとつは「面整備事業を行う場合」、もうひとつは「災害公営住宅単独事業の場合」。

前者の団地別の災害公営住宅を足すと、町方団地283、寺野臼澤38、安渡61、赤浜①7、赤浜②10、赤浜⑥19、吉里吉里19、浪板11で、合計448戸。後者を足すと、大ケ口70、屋敷前21、大ケ口2丁目23、柾内13、三枚堂98、浪板(1)3、吉里吉里34、大槌(柾内)24、大槌(屋敷前)151で、合計437戸

448 + 437 = 885。そして同じ2017年版の岩手県一覧の大槌町の欄は、災害公営住宅885戸。ぴたりと合う。

つまり、こういうことだ。

  • 448は、区画整理や集団移転でつくった団地の中に建つ災害公営住宅だけの数。
  • 885は、団地の外に単独で建てたものも含めた、町全体の数。
  • **878は、その町全体の数を1年後に数え直した値。**885から7戸減っている。

なぜ宅地だけが一致したのかも、原表の注記が答えを持っていた。「民間住宅等用宅地」は定義上、面整備事業によって供給される宅地のことだ。だから宅地には「団地の外」が存在しない。面整備分がそのまま町全体になる。災害公営住宅にはその縛りがないので、団地の外に単独で建てる分がある。同じ資料の中で、片方は全部、片方は一部だった。

問題は、この表を見ただけではそれが分からないことである。「復興状況把握報告書 平成29年」の表の題は「大槌町における民間住宅等用宅地及び災害公営住宅の計画戸数」。単独事業分が入っていないことを、題からは読み取れない。**この表だけを見た読者は、大槌町の災害公営住宅の計画は448戸だったと理解する。**実際は885戸だった。数字が間違っているのではない。数字が正しいまま、読者が別のものを受け取る。

885から878への7戸の減少については、復興庁の記者発表資料が岩手県全体について「住民意向を踏まえた計画戸数の減少等により」と書いているだけで、大槌町の7戸がなぜ減ったのかは書かれていない。だから理由は書かない。

参考として、岩手県全体では災害公営住宅の計画が5,854戸、平成30年度末までにおよそ5,700戸が工事終了の見込み、とされている。

5-2. 犠牲者は1,254人か、1,234人か

こちらは第2章で書いたとおりで、定義は同じ、時点が違う。2013年の町の資料が1,254人、2016年の会計検査院が1,234人、2023年更新の町の表が1,234人に震災関連死52人を足して1,286人。差の20人が何だったのかは公開資料では分からない。

**関連死を含めるか含めないかで数が変わる、ということ自体が、この町の15年の一部である。**52人は震災の直後に亡くなった人ではない。避難生活や環境の変化のあとで亡くなり、あとから震災による死と認定された人たちだ。その人数が独立した行として表に立っていることに、記録として意味がある。

5-3. 第三者が見たもの、見なかったもの

会計検査院は2012年、2014年、2016年と大槌町に触れている。2014年の検査では住宅再建事業の工程と遅延要因が大槌町の事例として扱われた。2016年4月の報告書には、防潮堤についての「参考事例」がある。

岩手県は大槌湾の堤防高を決めるにあたって、明治三陸地震や昭和三陸地震など計7回の地震による津波を対象にシミュレーションを行い、設計津波水位13.5メートル、地域海岸内堤防高14.5メートルとした。そして2011年10月、大槌漁港海岸(赤浜・白石地区)に高さ14.5メートルの防潮堤を整備する計画を提案した。

これに対して赤浜地区の住民等は、犠牲者の多くは防潮堤の近くに住んでいて防潮堤に視界を遮られて海面の変動に気づかず逃げ遅れたこと、町の象徴である蓬莱島の眺望などが阻害され景観への影響が大きいことなどから、再建する防潮堤の高さを海が見える程度とするよう要望した。同年11月、赤浜地区の地域復興協議会は、防潮堤の高さを被災前と同じ6.4メートルとする一方、住民の防災意識を向上し避難を徹底させることで災害に備える、という地域復興計画案を策定した。

その後、岩手県、大槌町、赤浜地区の地域復興協議会などが協議と調整を重ね、防潮堤の近くに住んでいた世帯が集団で高台に移転して安全性を確保することとし、2012年4月、岩手県は6.4メートルのままとすることを認めた。整備計画は変更された。

会計検査院の記述はここまでである。この記事も、ここまでにする。

同じ報告書には、この地区の被害も書かれている。「同町赤浜地区では、住民960人中、死者45人、行方不明者48人、計93人と全住民の1割が犠牲となった」。地区の数字は地区の数字として置く。町全体の数と混ぜない。

会計検査院はほかに、指定緊急避難場所についても検査していて、耐震性が確認できていない施設や標識・情報設備の状況を自治体ごとに表にしている。復興庁は特区の認定状況を年ごとに公開していて、大槌町については2012年から2021年まで、税制・雇用・投資・福祉といった分野の認定履歴が並ぶ。

ただし、第三者の検査には決定的な限界がある。**検査院が見たのは、検査の対象になった事業だけだ。**そこに載っていないことは「問題がなかった」ではなく「検査していない」である。同じことが県と国にも言える。国土交通省の記録は初期の被害と都市整備に寄る。岩手県の震災復興のカテゴリは交付金・住宅・造成・年次進捗が中心で、そこだけを見ると教育や福祉や農林水産が漏れる。復興庁は制度側の記録が厚い。e-Statは人口と世帯を教えてくれるが、原因も暮らしも教えてくれない。

だから、心の健康、教育の継続、障害のある人と高齢者、女性と子ども、漁業の所得、転出の理由、コミュニティの組み替え——こうしたことは、この町で起きなかったのではなく、今回集めた県と国の資料では薄い、というのが正確な言い方になる。


6. 完成後に始まった課題

2020年代に入ると、資料の顔つきが変わる。工事の工程表が減り、分野別の計画が増える。

いちばん象徴的なのは、防災集団移転促進事業で造成した宅地の空き区画の一般分譲である。町のページには、町方団地(末広町)、花輪田1団地、寺野臼澤第3期、古学校団地、安渡地区区画整理地内防集団地、赤浜北側斜面団地、吉里吉里D団地——7つの団地の位置図が並ぶ。申し込みには優先順位があり、被災時に移転促進区域内に住んでいた人が先頭で、次に町内・町外で罹災証明を受けた人、大槌町内に住所がある人と続く。そして最後に、そのいずれにも該当しない個人が来る(法人・事業所は除く)。

高台に土地を用意した。用意した土地が、埋まりきらなかった。だから被災していない人にも売る。この一行の制度変更に、造成が終わってからの10年が詰まっている。ここで「移転が失敗した」と書きたくなるが、書かない。この資料が示しているのは、募集が続いているという事実だけである。

分野別の計画も並ぶ。第9次大槌町総合計画(2019〜2028年)、都市計画マスタープラン改訂版(2021年)、地域公共交通計画(2022年)、第3期地域福祉推進計画(2022年)、老人福祉計画・第9期介護保険事業計画(2024年)、空家等対策計画(2025年)、公共施設等総合管理計画。**「復興」という名前がつかない計画の割合が、後半になるほど増える。**震災の記録としてではなく、人口9,870人の自治体を回す記録として書かれるようになる、という変化である。

お金の話も出てくる。2024年、町は上下水道料金等の改定方針についてパブリックコメントを実施し、住民説明会も開いて、それぞれの結果を公表している。復興でつくったインフラを、減った人口で維持する。その最初の請求書が届いた記録だ。

産業の側では、2023年に復興大臣が岩手県を訪問し、大槌町のサーモン養殖などに触れている。復興そのものではなく、復興のあとの産業をどう続けるかという文脈だ。岩手県の「いわて復興レポート2024概要版」も、水産業・商工・観光・伝承を扱い、大槌町の震災学習を取り上げている。町も2023年に第2期観光ビジョンを策定した。

そして、うまくいかなかった記録も残っている。2023年、消防計画の未作成に関する町職員の不祥事について第三者委員会が設けられ、その議事録が公表されている。役場の中で起きたことを外部の委員会に調べさせて議事録まで出す、という形が15年のあいだに定着している。第2章で触れた震災検証室と、線としてはつながっている。

交付金の後始末もある。2023年、町は「大槌町復興交付金事業計画の実績に関する評価」を公表した。


7. 残った記録、残らなかった入口

ここからが、この記事のもうひとつの本体である。何が読めなかったか。

用語をひとつ決めておく。以下で「未確認」と書くのは、今回の探索範囲にある特定の入口では見つけられなかったという意味だけである。文書が作られなかった、保存されていない、役場や図書館に紙の原本がない——そのどれも意味しない。

議会だよりが3年分と2年分、索引から抜けている

町議会の「議会だより」(かつての「議会報」)の索引は、平成26年度版の次が平成29年度版になっている。あいだの平成27年度と平成28年度が、公式索引と公式ドメイン内の検索範囲では確認できなかった。2011年度から2013年度も同様である。

議会だよりは、議事録より読みやすい形で、その年の議会が何を議論したかを町民に伝える冊子だ。震災直後の3年分がここから読めない。

会議録の年ページはあるが、2011年初頭が入っていない

第2章で書いたとおり、会議録の年別索引で確認できた2011年の最初の会議は4月28日である。震災当日の前後、1月から3月にかけての議会がどう動いたかは、この索引からは読めない。

財政の年別カテゴリが2016年度から始まる

町の財政情報は年度別のカテゴリで整理されているが、そのカテゴリは2016年度から2026年度までである。2011年度から2015年度は、このカテゴリの索引では確認できなかった。復興でいちばんお金が動いた5年間が、いま町のサイトの財政カテゴリを開いても出てこない、ということになる。別のページにあるのか、旧システムに残っているのか、紙で保管されているのか——それは今回分からない。

監査は「あることは分かるが、読めない」

これがいちばん奇妙な形をしている。2019年度から2025年度の公文書目録には、例月出納検査結果報告、監査結果報告、定期監査資料といった文書名が載っている。つまり、その文書が存在することは町の公開資料が証明している。しかし、年ごとにその本文へ行ける独立した公開入口は、今回の探索では見つからなかった。町のサイトには「監査委員について」「監査委員室」のページはある。あるのは制度の説明で、各年の指摘そのものではない。

**存在の記録はある。中身への扉がない。**この2つは別の欠落で、混ぜてはいけない。前者は「文書が無い」を否定し、後者は「今すぐ読める」を否定する。公文書目録に文書名と年度が載っているということは、それを指定して情報公開制度に請求する道がある、ということでもある。今回はそこまでしていない。

復興交付金の初期の回が、町のサイトからは辿れない

復興交付金の事業計画は第1回から第28回まである。岩手県の索引には全回が並んでいる。しかし町の現行サイト側では、現行カテゴリに第17回から第28回、一般記事の索引に第9回・第13回から第15回などが残っているだけで、**第1回から第8回、第10回から第12回、第16回への入口は町のサイトだけでは確認できなかった。**県が持っているから読めるが、町のサイトだけを見た人には初期の3年が見えない。

復興レポートは2016年4月から2020年4月まで

町が掲載している復興レポートは、この期間である。2011年から2015年、および2020年5月以後は、同じページでは確認できなかった。

住民の声の系列が、連続していない

住民意向調査のカテゴリは空、住民説明会のカテゴリは2018年中心。つまり**住民が何をどう望み、それが後にどう評価されたかを、町の公開アンケートの系列だけで15年ぶんつなげることはできない。**部分は読める。線にはならない。

震災アーカイブは、リンクはできるが引用はできない

町は2017年に震災アーカイブ「つむぎ」を公開した。復興計画の要約版も実施計画第1期も、ここに収蔵されている。年表のページもある(ただし年のリンクは2007年から2018年までで、2019年以後は年表の画面では確認できなかった)。

その利用規約を実際に開いて読んだ。「(オ) 利用条件について」に、こう書かれている。

  • 利用者は、防災対策、学校教育、学術研究および復興支援を目的として利用する場合に限り、コンテンツを利用できる。
  • 当該目的であっても、営利目的での利用はできません。
  • その目的での利用でも、管理者に承諾を取ったうえで利用する。著作権保有者に不利益が生ずる場合は利用できない。

著作権は大槌町と、町に資料を提供した団体・個人のいずれかに帰属し、個々のコンテンツはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて管理されている。リンクを張ることは原則として自由(フレーム内表示は不可)。

この記事は営利の可能性がある媒体に載る。だから、承諾を取ったとしても収蔵資料は使えない。**これは我々の側の都合ではなく、資料を出した町と、資料を提供した遺族や住民の側が決めた条件である。**だから今回は、入口があること・表題・URLだけを扱い、中身には触れていない。「読めなかった」のではなく「読んではいけない」がここにある。

同じ理由で、記録誌「生きる証」、犠牲者回顧録「生きた証」、犠牲職員状況調査報告書「大槌町役場職員」の3点も、刊行の事実と構成までしか書いていない。3点とも販売されている刊行物である。

そして、選ばなかったもの

読めなかったものと同じくらい、読めたのに使わなかったものがある。ここを書かないと、この記事は嘘になる。

使わなかったもの理由
議会の資料(柱1)1,287件のうち1,274件本文で名前を出したのは13件だけ。表題に「会議録」とつくPDFは467件あるが、そのうち引いたのは1本。全文を読んでいない
目録に入れなかった巡回結果5,909件一般行政・期間外・2026年の資料。15年史の母集団ではない
分野別計画の中身313件のほぼ全部存在を確認しただけ。「後期は分野別の計画が増えた」という形でしか使っていない
広報おおつちの記事本文数百件1本ずつ引くと、この記事が広報の要約になる
2026年の資料数十件15年の対象外。別の災害の記録を大震災の15年に混ぜない

いちばん重いのは1行目だ。議会の資料は1,287件あり、表題に「会議録」とつくPDFだけで467件ある。この記事で名前を出した会議録は、年別索引のページと、2011年4月28日の臨時会の1本だけである。残りは「そこにある」としか言っていない。15年分の議会の議論を全部読めば、この記事はまるごと書き換わるだろう。それはまだやっていない。**やっていないことを、やったように書かない。**これがこの記事の唯一の禁じ手だった。


8. 15年目の未完了リスト

最後に、いま確認できていることと、できていないことを分けて置く。

確認できたこと

  • 2010年に15,276人だった人口が、2025年の速報集計で9,870人になっている。
  • 町自身の公表で、死者・行方不明者が1,234人、震災関連死が52人、計1,286人(2023年7月19日更新)。
  • 計画戸数は、面整備事業による民間住宅等用宅地が1,401戸、災害公営住宅が町全体で878戸(2018年9月末現在の工程表)。これは計画の数であって、完成した数でも入居した数でもない。しかも工程表の「供給時期」は、宅地は造成工事の完了、公営住宅は建物の引渡しで数えている。
  • 赤浜の防潮堤は、県が提案した14.5メートルではなく、被災前と同じ6.4メートルで整備された。高台への集団移転で安全性を確保する、という組み合わせで県が認めた。
  • 2019年に防災集団移転が完了し、話題は跡地利用と地域の維持へ移った。
  • 造成した宅地の空き区画は、7団地で一般分譲が続いている。被災していない人も申し込める。
  • 記録を残す仕事は続いている。2017年に震災アーカイブ「つむぎ」と災害対策本部の検証報告書、2019年に記録誌「生きる証」(2,000部・全11章と資料編)、2021年に犠牲職員状況調査報告書「大槌町役場職員」(A5判109ページ)。犠牲者回顧録「生きた証」は平成28年度版が545名、平成29年度版が76名を掲載している。2020年には「災害の記憶を風化させない事業基金条例」が改正され、2023年には震災伝承ARアプリが公開された。赤浜地区は独自に震災関連資料のページを持っている。
  • 備えも更新されている。2022年に岩手県の新たな津波浸水想定が示され、町は地域防災計画を修正した。

確認できていないこと

  • 人口が5,406人減ったことの内訳。震災の直接の影響、転出、自然減の寄与は分けられていない。
  • 2013年の1,254人と2016年の1,234人の差、20人が何だったのか。
  • 2011年1月から4月27日までに、町議会が何を審議・報告したか。
  • 2011〜2013年度と平成27・28年度の議会だよりが、作成・保存・公開されたのかどうか。
  • 2011年度から2015年度の財政情報が、いまどこで読めるのか。
  • 監査委員が各年に何を指摘したのか。文書があることは分かっているが、本文への公開入口が見つかっていない。
  • 住民が地区・年代・世帯の条件ごとに何を望み、あとでそれをどう評価したか。町の公開系列では連続して追えない。
  • 復興が終わったあとの、心の健康・教育・福祉・漁業所得・転出理由・コミュニティ。集めた県と国の資料では薄い。
  • 空き区画がなぜ埋まらないのか。募集が続いているという事実しか分かっていない。
  • 2025年の人口。確定値が出ていないので、9,870人は速報のままである。

まだ取り戻せる道

上のいくつかは、次の一手が分かっている。2011年初頭の議会記録は議会事務局・紙の会議録・県立図書館・国会図書館のウェブアーカイブ。議会だよりの欠番も同様。監査結果の本文は、公文書目録に載っている文書名と年度を指定した情報公開制度。震災アーカイブの収蔵資料は、管理者へ用途と対象を明示した許諾の確認。どれもまだ実行していない。実行するかどうかは、この記事とは別の判断である。

2025年9月28日

最後にひとつだけ、日付を置いて終わる。

2025年9月28日、大槌町は旧大槌役場庁舎跡地への石碑建立に関する住民説明会を開いた。町はその日に配った資料を公開している。説明資料、議会報告、そしてもう1点――「碑文見直し新旧対照表」

碑文の中身は今回読んでいないので、何がどう変わったのかは書かない。書けるのは、15年目の町で、跡地に建てる石碑に何と刻むかが住民説明会の議題になっていて、その文面には旧と新がある、ということだけだ。

土地の造成は終わった。堤防も建った。工程表の進捗率は100%になった。それでもまだ、この町では「何と書き残すか」が決まっていない。15年の未完了リストの最後の行は、たぶんそれである。


出典

原則として2026年7月31日時点で応答を確認した公開URL。注記のある1件のみ2026年8月1日に追加取得した。「取得済」はURLが応答した意味であり、本文を精読した意味ではない。

第1章 人口

第2章 2011年

第3章 住まいと土地

第4章 計画の外にいた声

第5章 国と県の数字、第三者の検査

第6章 完成後に始まった課題

第7章 残った記録、残らなかった入口

第8章 15年目の未完了リスト